■ごあいさつ

 私たちは食べることによって生命を維持しています。
断食のような特別の場合を除き、人間の命は1日たりとも食べることなしには維持できません。食の問題はそれ程、本質的に生きることにかかわることなのです。

 ところが、私たちの現状はどうでしょうか。見かけだけは立派だけど、本当の味を放棄してしまった食品の数々、経済優先の論理で、農薬や化学肥料漬けの農産物や畜産物。加工食品には有害とわかっていながら野放しにされたままの食品添加物が使われています。

 文化としての食もまた、危機に瀕しているといってもいいでしょう。外食産業や総菜メーカーの進出で、家庭から独自の味が失われようとしています。

 共に食べることで家庭の絆を深めていた食卓からひとり、またひとりと家族の姿が消え、テレビ相手にインスタントラーメンをすする子供だけが残ったというわびしい話も聞きます。荒廃した教育の現状を水俣の海にたとえるなら、食を基盤とした私たちの暮しもまた水俣の海と同じ状況を呈しているといっていいでしょう。

 しかし育ち盛りの子供たちを持つ私たち母親としては、こうした状態に安閑としているわけにはいきません。“からだ”そのものを直接損なう有害な食品を拒否するのは勿論のこと、食べ物本来の姿を失った疑似食品、嗜好をマヒさせる毒々しい味付け、簡単だけがとりえのインスタント類などをできるだけ身辺から排除したいとさまざまな努力を続けています。ところが、本来食品とは認めがたい食物を出来るだけ追放したとしても、子どもの大切な生活の一端を担っている学校で、それを給食として供している場合が現実には大変多いのです。

 これではなんとか健全な食事を、そしてそこから真の生きる力をつけてほしいと願う私たち親の願いは、足元から崩れ去ってしまうといっていいでしょう。そうなれば子どもたちの健全な暮しの上に成り立っている教育そのものの基盤も拠り所のない不確かなものになってしまうのではないでしょうか。

 この思いを強めている時、自由の森学園で新しい食に取り組む話が持ち上がりました。ほとんどのメンバーがそういう意味では素人です。家庭の台所とはスケールの違う学校の厨房に少なからず戸惑いを感じています。でも食べるということが本来人間の生命を支えるものである、そして自分たちの食は自分たちで担うものであるという認識がそれぞれの胸底にあれば、決して不可能ではないと考えます。 それどころか、食の部分を担うことで子どもたちを丸ごと育てることに参加することになると、大きな期待さえ抱いています。

 まったくゼロからの出発なので、あるいは試行錯誤を繰り返すことになるかも知れません。しかし幸い、私たちには日々暮しの中で蓄えたエネルギーと小さな知恵の積み重ねがあります。こうしたパワーが学校本来の機構の中に組み込まれ、子どもたちの活力の供給源になれたらと願っているのです。
(1984.12.13 食の会)
 地道な歩みを続けて27年目。世の中は大きく変わっています。食生活部の基本的な考え方は当初から変わらずに今に至っています。